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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)9097号 判決

判   決

東京都世田谷区玉川等々力町二丁目五三番地

原告

沢田キヨ

(ほか二名)

右三名訴訟代理人弁護士

下光軍二

東京都目黒区中目黒二丁目六一四番地

イーシー・マンシヨンハウス

被告

沢田正子

右訴訟代理人弁護士

長瀬秀吉

高橋守雄

鈴木喜三郎

主文

被告は原告沢田キヨに対し金三〇万円及びこれに対する昭和三三年一一月二七日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告沢田キヨのその余の請求及び原告沢田脩、同沢田忠の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告沢田キヨと被告間に要した分はこれを二分しその一は原告沢田キヨ、その余は被告の負担とし、原告沢田脩、同沢田忠と被告間に要した分は原告沢田脩、同沢田忠の負担とする。

この判決は原告沢田キヨの勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は「被告は原告沢田キヨに対し金六〇万円、原告沢田脩、同沢田忠に対し各金二〇万円及び右各金員に対する昭和三三年一一月二七日から右各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

「一、原告キヨはその夫たる訴外沢田信一と昭和二一年一一月九日結婚式を挙げ、同年一二月一一婚姻届をして夫婦となり、両者の間に昭和二二年五月二二日長男原告脩、昭和二四年八月四日次男原告忠が夫々出生した。

原告キヨと信一とは昭和一九年頃より同じ海軍省に勤務していた関係から相思の仲となりその後双方の家庭環境の相異から、結婚に多少の障害があつたが双方は強い愛情をもつてこれを克服し結婚したものである。したがつて結婚後の互の愛情も人一倍深く信一が昭和二八年五月日本の国連加盟のため日本大使としてその衝に当るべくニューヨークに赴任することとなつた信一の父沢田廉三と共に同人の秘書官として渡米するまで円満な家庭生活が続き、信一は右渡米に際しても原告キヨと、相互に週二回手紙を交換することを約した程であり、現に信一は渡米後原告キヨに対し週二回航空便で愛情溢れる手紙を原告キヨによこしていたし、生活費も毎月二八、〇〇〇円多い時三万円は送金し、又機会あるごとに衣料等珍しいものや、子供達に対する贈物を送つて来た。

二、しかしながら右信一からの手紙は昭和二八年一二月頃から途絶えがちとなり、その上信一は昭和三〇年二月帰国後も原告等の許に帰らず別居するに至つたが、それは次に述べるように被告と信一との関係によるものである。即ち、昭和二八年当時被告は婚約者訴外鈴木忠雄の跡を追つて渡米し、同人との婚約を破棄した後も滞米を続けていたが、信一が妻帯者であることを熟知しながら妻を日本に残し、禁欲生活に抗しきれない状況にあつた信一を積極的に誘惑し、信一と同棲するに至り日本に帰国後も、昭和三〇年二月同様帰国した信一と昭和三三年九月一五日から東京都新宿区信濃町二三番地のアパートにおいて同棲し始め、今日に至る迄右関係を続けている。

猶信一は昭和三二年八月原告キヨを相手方として東京家庭裁判所に対し離婚調停の申立をなし、右調停は不調に終つたものの原告キヨとの離婚の決意は固く、同年一二月からは原告等に対する生活費の送金も中止するに至つた。

右事実によれば、被告は故意に原告キヨの配偶者たるの権利を侵害したものであり、これがため原告キヨは多大の精神上の苦痛を蒙つたから被告は原告キヨに対し右――精神上の苦痛を慰藉するに足りる金員の賠償義務がある。

三、更に被告は原告脩、同忠に対しても不法行為上の責任を免れえない。即ち

原告脩、同忠はそれぞれ前記日時に出生した者であり、日常父たる信一の監護教育を必要とすることは勿論今後進学、就職、結婚などにつけても父信一と平和な家庭生活を営んでいることを必要とするものであるが、前記のとおりの被告の所行により、右原告等の父信一は被告と同棲するに至り、右原告等の許には顔も見せなくなつた。そのため右原告等は、かつて子煩悩で共に遊んでくれた父信一の面影をしのび、学校においてや交遊の際には父の話題のでる度に悲しい思いをし、又家庭生活においても父がいないため心細さ、わびしさで一杯であり、父信一のいないことによる右原告等の精神上の苦痛は計り知れないものがある。殊に原告忠は幼時より身体虚弱であつて、小児ぜんそくを患つており、そのため学校も一年遅れたこともあつて右苦痛は大きいのである。

ところで、凡そ我々の社会生活において、何人も他人の家庭を破壊するような行為にでることは許されないものであつて、配偶者をもち、家庭をもつている者との交際は、しからざる者との交際とは異つて、右の関係を考慮に入れていなければならない注意義務があるものというべきである。

しかるところ、右事実によれば被告は故意又は少くとも過失により原告脩、同忠の父信一から監護教育を受ける権利を侵害したものというべく、そのため右原告等が蒙つた前記精神上の苦痛の慰藉料支払の義務がある。

四、そこで右慰藉料の額について述べると

原告キヨの夫信一は前国連大使であつた沢田廉三と混血児の世話などの社会事業家として高名なその妻美喜との間の長男であり現在は防衛庁に勤務している者であること、原告忠は幼時より身体虚弱であつて、小児ぜんそくを患いそのため学校も一年遅れていること、原告等が現在原告キヨの父高橋昨吉の家の物置を改造し、つつましい生活を送つているのに反し、信一と被告とは豪華なアパートで華美な調度品の中でぜいたくな生活をしていること被告(昭和五年生)は北海製罐株式会社社長堤清七の長女で富裕な家庭に育ち、広い知友があつて、良き配偶者を選択しうるにも拘らず前記不法行為に及んだこと、等の事実に徴すると、被告の原告キヨに対する慰藉料の額は六〇万円、原告脩、同忠に対するそれは各二〇万円をもつて相当とするから原告等は被告に対し右各慰藉料及び右各金員に対し、本件不法行為の後であり、且つ本件訴状が被告に送達された日の翌日たる昭和三三年一一月二七日から右各金員完済に至る迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める」と述べ、被告の本案前の主張に答えて

「一、原告脩、同忠が婚姻中にある原告キヨと信一間の子として被告主張の日に各出生した未成年者であることは認めるが、その余はすべて争う。

二、民法第八一八条第三項但書の規定は父母の一方が所在不明、重病などの外、長居不在又は長期別居の場合にも適用されるものと解すべきであり、本件において前記のとおり、信一は原告等と別居し、原告等に生活費の支給をせず、原告脩、同忠が病気しても、自己の加入している健康保険の利用を拒み最近は原告脩同忠の安否を気遣つて来ることもなく、全く捨てて顧みない状態といつても過言ではない。右のような状態の場合は信一において「親権を行うことができないとき」に該当するものというべきである。

仮りに右が信一において親権を行使することができない場合に該らないとしても、前記のとおり信一は親権者としての義務を全く履行しないのであるから、親権の行使のみを主張することは権利の乱用として許されるべきではないから原告キヨが単独で親権を行使することができると解すべきである。

被告は原告脩、同忠の親権者たる信一と原告キヨの利害相反し意思が一致しない場合には民法第八一八条第三項但書は適用されない旨主張するが、告権者相互の利害を考慮すべきでなく、仮りに考慮すべきものとしても信一の利益は不法なものであり、原告等の利益と対等に考えられるべきではないから、民法第八一八条第三項但書の規定が排除されるものではない。」

と述べた。

被告訴訟代理人等は本案前の答弁として「原告脩、同忠の訴は却下する。」との判決を求め、その理由として、

「一、原告脩、同忠は婚姻中にある原告キヨと信一間の子として、原告脩は昭和二二年五月二二日に、同忠は昭和二四年八月四日に各出生した者でいずれも未成年者であるから、その訴訟行為は法定代理人たる親権者原告キヨ、と信一が共同してなすべきところ原告脩、同忠の本訴は原告キヨが単独で提起したものであるから不適法として却下されるべきである。

猶民法第八一八条第三項但書の親権の共同行使の例外規定は本件のように親権者双方の利害相反しその意思が相異する場合には適用されない。

二、又未成年者の法定代理人の訴訟行為は未成年者の意思に反してなすことは許されないものと解すべきところ、原告脩、同忠は信一の実子であり、信一の事実上の妻たる被告を苦しめることは信一を苦しめることとなり、現に同人は本訴のために少からず苦悩しているのであつて原告脩、同忠に信一を苦しめる意思あるものということはできず従つて同原告等に本訴提起の意思あるものということはできないから此の点からも、同原告等の本訴は不適法として却下されるべきである」と述べ、

本案につき「原告等の請求は棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、答弁として

「一、原告等の請求原因一の事実中、原告キヨと信一とが原告等主張の日に結婚式をあげ、婚姻の届出をしたこと、右両名間に原告脩、同忠が原告等主張の日に出生したこと、原告キヨと信一とが同じ勤務先であるから知合うようになつたこと、右両名の結婚に家柄の相異から障害のあつたこと、信一が原告等主張の日にその主張のような事情から渡米したことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。同二の事実中被告が鈴木忠雄と婚約していたこと、被告が渡米し右婚約を破棄したこと、信一が原告等主張の頃帰国したが原告等と別居していること、昭和三三年一〇月五日から被告と信一とが原告等主張の場所に同棲していること、信一が原告等主張のような調停の申立をし、原告キヨとの離婚の決意が固いこと、信一が原告等主張の頃から原告等に対する生活費の送金を中止したこと、はいずれも認めるがその余の事実は争う。同三の事実中原告脩同忠の出生日が原告主張のとおりであること原告忠が身体虚弱であることは認めるがその余の事実は争う。同四の事実中信一が沢田廉三と同人の妻美喜間の長男であること、同人等の身分、地位がいずれも原告等主張のとおりであること、は認めるがその余の事実は争う。

二、信一が原告キヨに愛情を喪失し、被告と同棲するに至つたのは、次に述べるような原告キヨと信一との結婚生活にその原因があるのであつて、被告は原告等に対し不法行為の責任を負うものではない。即ち、

原告キヨと信一との結婚は、原告キヨ及びその両親の言葉巧みな働きかけに屈した信一が、信一と原告キヨの、育成して来た生活環境、性格、教養の相異などから両名の結婚に反対していた信一の両親の反対を押し切つてなされたものであつた。右結婚に際して信一の両親と、仲人楢橋渡は原告キヨに対し、今後は沢田家の嫁として恥かしくない教養と品位とを備えるよう勉強することを申付けた。

信一と原告キヨとは結婚後昭和二三年一二月末迄大磯において信一の両親と同棲していたが、此の間、原告キヨは自己を向上させ、新な生活環境に順応すべく努力することを怠り、却つて信一の母美喜が混血児の世話をしているのに反対し、近所の者に中傷的言葉を吐いたり、信一の親友会田修一に対しても、美喜の悪口を告げたりした。そのため、原告キヨと信一の両親の仲は悪化しひいては信一とその両親との関係、信一と原告キヨとの関係も悪化して行つた。

そこで信一は両親と別居するため昭和二三年一二月末名古屋市に転出したのであるが、名古屋市においても原告キヨの生活態度は改まらず、家主の妻といざこざを起したり、信一に対しへんぴな名古屋市に連れて来たので友人がないといつて不満を述べ、又家事、子供の面倒、躾の点では不潔、不衛生極まりなく、家庭の主婦、子の母として不行届の点が多く、信一の友人も家庭的交際から離れて行つた。

昭和二六年一一月信一と原告等は東京に戻り、原告キヨの祖父の家で、次いで原告キヨの実家の物置を信一が改造して住んでからも、信一と原告キヨとの家庭生活は円満を欠いていた。

昭和二八年二月信一は、父廉三から秘書役として共に渡米することを求められ、家族を同伴できないことを知りながら原告キヨに相談することなく応じたのも、右のような家庭生活から来る精神的重圧から一時的にでも逃れたい気持からであり、信一は渡米後原告キヨを特に恋しいとも思わず、又独身生活を淋しいとも思わなかつたのである。

三、一方被告は昭和二七年六月渡米し、ニューヨークにおいてタイプと速記の学校に通学し、同年一一月終了後も米国式生活に慣れるために滞米生活を続け、第一物産株式会社ニューヨーク支店に勤務していたが、昭和二八年九月一七日皇太子殿下訪米の祝賀晩さん会において信一と被告とは偶々同じテーブルに着席し、昭和二三年夏一度逢つたこともあつたので故国や家庭のことにまで話が及び、その後も、知人又は友人としての交際を続けたが、当時被告は女子の独身寮に、信一は公舎に住居していたのであつて両名が滞米中に同棲したことはなかつた。

被告は昭和二九年一一月に信一は翌三〇年二月一日帰国したが信一は右帰国後大磯の実家に一ケ月位次いで信一の友人会田の経営する会田合資会社の二階で起居し、原告等と別居していたので、信一が被告の実家の堤家に英会話の教師として訪れた際に被告及び被告の母が信一の独身生活に同情し、親切にしていたが、信一が、原告キヨを相手方として東京家庭裁判所に離婚調停の申立をし、被告に対し、自分を慰め幸福にしてくれる者は被告の外なき旨明かにするに及び、且つ、信一と、原告キヨの結婚の媒酌人であつた楢橋渡夫妻の勧めもあつたので、被告は信一の強い要望に応じ、昭和三三年一〇月五日から信一と同棲するに至つたものである。

右に述べたように信一が原告キヨと離反するに至つたのは、原告キヨによつて招来されたものであり、被告の責に帰せられるべきものでなく、被告は原告等に対し慰藉料支払いの義務を負うものではない。」と述べた。

証拠(省略)

理由

一原告脩、同忠の本訴提起の適法性について。

原告脩が昭和二二年五月二二日に、原告忠が昭和二四年八月四日に、いずれも婚姻当時中の原告キヨとその夫信一との間に生れた子であることは当事者間に争がないから、右原告両名は現在未成年者であることが明らかであるところ、被告は両名の親権者たる信一及び原告キヨが共同で訴訟行為をなすべきであるにも拘らず本件訴訟は原告キヨのみが法定代理人として提起したものであるから不適法である旨主張するので判断するに、信一が昭和三〇年二月から原告等の許に戻らず原告等と別居して現在に至つていることも当事者間に争いがない。

親権は父母の婚姻中は父母共同してこれを行うのが原則であるが、父母が共同して親権を行使すべき場合にも「父母の一方が親権を行うことができないときは他の一方がこれを行う」(民法第八一八条第三項但書)ことと定められており、右にいわゆる「親権を行うことができない」ときには父母の一方の行方不明、長期旅行、重病などの場合のみならず、父母の婚姻関係が事実上破綻し、父母の一方が他の男又は女と同棲し、子との別居が長期に及んでいるような場合も含まれるものと解すべきところ、本件において原告脩、同忠の父である信一は昭和三〇年二月以降原告等の許に戻らず且つ後記のとおり昭和三三年一〇月五日から被告と同棲して今日に至つており、又原告キヨ本人尋問の結果によれば信一は右別居以後殆んど原告脩、同忠の面倒をみることなく、同原告等は原告キヨの許で養育されていることが認められる。このような場合信一において親権を行使することができないものというべきであつて、原告脩、同忠の母である原告キヨが単独で親権を行使しうるものと解するのを相当とするから、被告の前記主張は排斥を免れない。

次に被告は、原告脩、同忠の本件訴訟の提起は同原告等の意思に反し不適法である旨主張するけれども、親権は子の利益を考慮して行使されなければならないこともとよりであるが、子の利益に合致すれば子の意思に反することも許されるのであつて、本件において原告脩、同忠が、父である信一と同棲している被告に対し、損害賠償請求権ありと主張して訴を提起すること自体原告脩、同忠の利益に反するものでないから、右被告の主張も排斥を免れない。

二、原告キヨの被告に対する慰藉料請求について。

原告キヨと信一とが、昭和二一年一二月一一日婚姻の届出をした夫婦であること、信一と被告とが昭和三三年一〇月五日から同棲していることはいずれも当事者間に争いがない。

原告等は、信一と被告とは米国に滞在中昭和二八年一二月頃から同棲していた旨主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はなく、証人沢田信一の証言、被告本人尋問の結果及び本件口頭弁論の全趣旨を綜合すると信一と被告とが最初に肉体関係をもつたのは信一が昭和三二年四月原告キヨを相手方として東京家庭裁判所に離婚調停の申立をした前後であり、当時被告は信一に原告キヨなる妻のいることを熟知して右所為に及んだことが認められるが、信一と被告とが同棲を開始した時が前記当事者間に争いのない昭和三三年一〇月五日より前であることを認めるに足りる証拠はない。

右事実によれば、被告は故意に、信一が原告キヨに対し負つている貞操義務の違反に加担したものというべく、しかして原告キヨがこれによつて多大の精神的苦痛を蒙つたことは原告キヨ本人尋問の結果及び本件口頭弁論の全趣旨によつて明かであるから、被告は原告キヨに対して相当の慰藉料を支払うべき義務がある。

被告は信一が原告キヨと離反し被告と肉体関係をもち、その後これと同棲するようになつたのは、信一と原告キヨとの結婚の成立に無理があり、しかも結婚後原告キヨに至らない言動が多々あつて、これがため信一の原告キヨに対する夫婦愛が自然に衰退消滅したことに抑々の原因があるから被告には前記損害賠償義務がない旨縷々主張し(後記四項慰藉額の判断の部分に於て)認定の通り、信一と原告キヨとの婚姻関係が現在事実上破綻の状態にあり且両者の夫々の生育環境に由来する婚姻成立過程上の無理があつて、原告キヨが結婚後沢田家内の環境に容易に適応し得なかつた為信一とその両親とが不満を持ち、それがある程度右破綻状態の原因となつているという事実はあつても、本件にあらわれたすべての資料によつても、それが右破綻の主たる原因をなしているとまでは断定し難く、畢竟右事態は信一自身の社会の一員として守るべき限界を超えた行動によるものと認める外なく、本件口頭弁論の全趣旨により原告キヨの側に信一と離婚する意思が全くないことが明らかな以上、信一は依然夫としてキヨに対して貞操義務を有するものでありその違反に加担した被告は不法行為の責を免れるものでなく前記被告の主張は排斥を免れない。

三、原告脩、同忠の被告に対する慰藉料請求について。

原告脩、同忠は、被告は右原告等の父である信一と同棲したことによつて右原告等と信一との家庭生活を破壊し、未成年者である右原告等が信一から監護教育をうける権利を侵害したものであるから、そのため右原告等が蒙つた精神上の苦痛に対し慰藉料を支払うべき義務ある旨主張するので判断する。

原告脩、同忠が未成年者であること、信一は昭和三〇年二月以降原告等の許に戻らず、昭和三三年一〇月五日から被告と同棲を始め、右別居以降殆んど原告脩、同忠の面倒をみていないことはいずれも前記のとおりであり、本件口頭弁論の全趣旨によれば原告脩、同忠が右信一との別居により、信一から父としての愛情をうけることができず、そのため精神上の苦痛を蒙つたことが認められ、又、右原告等の損害と被告の前記信一との同棲及び後記同棲に至るまでの信一との交際との間には相当因果関係が存するものといわなければならない。

ところで、かように第三者が未成年の子をもつ夫婦の一方と情交関係を結び又はこれと同棲し、その結果その夫婦の一方が未成年の子を夫婦の他方の監護教育に委ね自らはこれをつくさなくなつた場合、右第三者は右未成年の子の当該親から監護教育を受ける権利を違法に侵害したというべきか否かといえば、未成年の子とその親との関係はたんに前者が後者に対し扶養、身上監護を要求しうる権利を有するにすぎず、又後者が前者に対し右職務をつくすか否かは専らその意思のみに依存し、たとえ後者が第三者と前記のような関係を結んだからといつて、そのことにより後者に対する右身上監護義務を履行しえなくなるというものではないから、右問題は通常は消極に解すべく、ただ第三者が当初から未成年の子に対し苦痛又は損害を加える意図の下に行動したとか或いは積極的に誘惑的な挙指を用いて当該親の無知又は意思薄弱などに乗じて当該親と未成年の子との間の親子的共同生活を破壊したといいうるような特別の場合にのみ、未成年の子に対する不法行為が成立するものと解するのが相当である。本件について証人沢田美喜、堤韻子の各証言及び被告本人尋問の結果を綜合すると、信一は被告と渡米中である昭和二八年九月一七日頃皇太子殿下訪米の祝賀会晩さん会に同席してから積極的に被告に交際を求め、被告もこれに応じテニスを共にし又芝居を一緒に見るなどしていたが、同年暮頃から信一は被告に対し原告キヨとの結婚は失敗であつたと訴えるようになり、次いで被告との結婚を求めるようになつた。前記被告及び信一の帰国後も信一は原告等の許に帰らず、大磯の実家や友人会田修一の経営する会田合資会社の二階等で起居し、帰国直後被告の実家を訪れて被告及び被告の父母に被告との結婚を求め、被告の両親の反対にも拘らずその後も積極的に被告に求婚を続け、一方被告は信一に妻子があり、又両親、親戚の者の反対もあつたので信一の求婚に対し何等態度を明かにしないでいたが、昭和三二年二月中被告は信一に対し交際を絶つことを申入れた。しかしながら同年四月頃信一の強い求めによつて再び交際し始めその頃信一が東京家庭裁判所に対し原告キヨとの離婚を求めて調停を申立てるに至つたこと、信一の母沢田美喜も信一と被告との結婚を求めたこと、昭和三三年四月被告、信一等が帝国ホテルにおいて信一と原告キヨの媒酌人である楢橋渡に会つた際同人は被告と信一との同棲をすすめたこと等の事実があつたので被告は信一の要求に応じ前記のとおり同棲するに至つたものであつて、被告は交際の当初から右同棲に至るまで終始消極的、受動的であつたものと認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠は存しないところ、右認定の事実を通じ、その他本件一切の証拠に照しても、被告において前段で述べたような不法行為を構成すべき特別の場合に該当すべき事実を見出すことができないから、結局原告脩、同忠の被告に対する不法行為にもとづく損害賠償の請求は失当なるものとせざるを得ない。

四、そこで原告キヨの被告に対する慰藉料の額について判断する。

原告キヨの夫信一が外交官で前国連大使であつた沢田廉三の長男で現在防衛庁に勤務していること、原告キヨと信一とは前記のとおり昭和二一年一二月結婚しその間に前掲二子を儲けたことは当事者間に争いがなく、被告本人尋問の結果によれば、被告(昭和五年生)は富裕な家庭に育ち、聖心女子大学英文科を卒業した者であることが認められ、証人沢田信一、会田修一、沢田美喜、高橋要之助、佐分康子の各証言並びに原告キヨ本人尋問の結果を綜合すると、原告キヨと信一とが結婚するようになつたのは信一の原告キヨに対する強い働きかけによるものではあつたが、キヨが元来農家に生れ、且育つたものであつて信一と生育環境が全く異つている為沢田家に於ける異つた環境に容易に適応することができず、結婚式後昭和二三年秋迄神奈川県大磯において信一の父母と同居している時に信一の父母に対する原告キヨの態度等の点で同家における儀礼的な面に於て欠けるところが多かつた為父母並びに信一の不満を買い、信一が苦悩したこと、信一が被告と肉体関係をもち、次いで同棲するに至つたのも原告キヨに対する右不満が相当原因をなしていたこと、信一と被告との右関係は信一が執拗に被告を求めた結果であり、少くも当初相当期間は被告が全く消極的であつたこと、がそれぞれ認められ(原告キヨ本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。)、右事実及び叙上の本件に顕れたその他のすべての事情を綜合すると被告が原告キヨに対して支払うべき慰藉料は三〇万円をもつて相当と認められる。

よつて原告キヨの被告に対する慰藉料の請求は三〇万円及び本件不法行為の後であり、且つ本件訴状が被告に送達された日の翌日であること記録上明かな昭和三三年一一月二七日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却することとする。よつて訴訟費用の負担については、原告キヨと被告間に要した分については民事訴訟法第八九条第九二条を、原告脩、同忠と被告間に要した分については同法第八九条、第九三条第一項を、仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第一部

裁判長裁判官 高井常太郎

裁判官 渡 部 保 夫

裁判官 柴 田 保 幸

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